9月に入りセミの声も夕方に聞かれるようになりました。
秋ですね。
涼しくなって行動もしやすくなりますね。

野村路子さんという方の活動のお話しを聞き、こちらの本を読みました。
テレジンという地名は聞いたことがありますか。
チェコスロバキアの首都、プラハから北に60キロの小さな町ですが、第二次世界大戦の時にユダヤ人の収容所がありました。
1941年~から1945年までの間に、およそ14万4000人のユダヤ人がテレジンに送られ、3万3000人が病気、飢え、過労、ドイツ人による暴力などで亡くなり、8万8000人がアウシュヴィッツなどに送られガス室で殺されました。
そのテレジンには1万5000人のこどもたちが「こどもの家」と呼ばれた建物で暮らしていました。
飢え、寒さ、親と会えない寂しさ、死の恐怖の中、笑顔を無くしていました。
移動遊園地の絵

「希望を捨ててはだめ。きっと明日は良い日が来ると信じましょう。楽しかった日のことを思い出して絵を描きましょう。きっとまた、そんな日が来るわ」
フリードル先生がかけた言葉です。
終戦に生き残った子供たちはおよそ100名だったそうです。
4000枚もの絵が残されていました。
現在はプラハのユダヤ博物館に大切に保管されています。
30年前に野村路子さんは子供たちの絵に出会い、それから日本に伝える活動をされています。
http://www.teresien.jp/
本日のお花はサルスベリです。
この頃は街中でもよく見かけます。
縮れたくしゅくしゅとした花びらが可愛らしいですね。

スタッフT
秋ですね。
涼しくなって行動もしやすくなりますね。

野村路子さんという方の活動のお話しを聞き、こちらの本を読みました。
テレジンという地名は聞いたことがありますか。
チェコスロバキアの首都、プラハから北に60キロの小さな町ですが、第二次世界大戦の時にユダヤ人の収容所がありました。
1941年~から1945年までの間に、およそ14万4000人のユダヤ人がテレジンに送られ、3万3000人が病気、飢え、過労、ドイツ人による暴力などで亡くなり、8万8000人がアウシュヴィッツなどに送られガス室で殺されました。
そのテレジンには1万5000人のこどもたちが「こどもの家」と呼ばれた建物で暮らしていました。
飢え、寒さ、親と会えない寂しさ、死の恐怖の中、笑顔を無くしていました。
移動遊園地の絵

「希望を捨ててはだめ。きっと明日は良い日が来ると信じましょう。楽しかった日のことを思い出して絵を描きましょう。きっとまた、そんな日が来るわ」
フリードル先生がかけた言葉です。
終戦に生き残った子供たちはおよそ100名だったそうです。
4000枚もの絵が残されていました。
現在はプラハのユダヤ博物館に大切に保管されています。
30年前に野村路子さんは子供たちの絵に出会い、それから日本に伝える活動をされています。
http://www.teresien.jp/
本日のお花はサルスベリです。
この頃は街中でもよく見かけます。
縮れたくしゅくしゅとした花びらが可愛らしいですね。

スタッフT